特に最近は、妻が頻繁に自分の中綿のコートを着ます。
そのコートは最新のファブリックとテクニックを用いた、奇想天外なデザインでありクリエイティブな物であるが、彼女がそれを着る理由はデザインでもシルエットでもなく、軽くてあったかいからです。
僕がそのルックスに「なんじゃあこりゃああ」と感動して大金はたいて手に入れたそれは、彼女にとっては便利なものなのである。
結局のところ、一般的には物を選ぶ理由の優先条件は実用性なのかもしれません。
その最たるは鞄ではなかろうか。
一日の中でも身から離す行為は何回もするし、出かける際に最後に身につけるが故に、その優先順位はきわめて低く、ファッションとの距離も遠くに感じてしまう。
実際に、今日はこのジャケットを着て〜このパンツに合わせて〜靴はこれにして〜というのを何万回やってきたかわからないけれど、今日はこの鞄に〜からを始めた事が何回あっただろうか。
鞄を持たないように服を選んだ事は何回もあるのに。
鞄とは元来物を入れて運ぶための道具であって、その起源は服に収納しきれないもの問題の解決策だそうです。
そりゃあ、じゃあこれでいっかあとなってしまうのもわかってしまう気がする。
そんな僕のじゃあこれでいっかあを、撃ち抜いたのが岩永さんの鞄でした。
正に「なんじゃあこりゃああ」。
黒革と真鍮・レザーのカッティングとジップの軌道。
エグ味のあるデザインは、ブランドタグを見なくても俺だ俺だって主張があって、異様なオーラを放っていたが、確かにそこには個性があってかっこよかった。
自分の服に合わせたくなったし、自分の服を合わせたくなっていた。
鞄じゃなくてもなんでもいいからそのデザインが欲しくなっていて、それが鞄だという事を忘れてその造形美に惹かれてしまっていた。
もうそれがなんなのかはどうでもいい、純粋にかっこいいものが欲しい。
実用性に否定的な訳ではないけれど、「なんじゃあこりゃああ」と感じている時には、便利の序列は随分下がっていて、それを迎え入れる準備はとうに整っている。
3CMAではcornelian taurusを、ジャケットを着るように、パンツを履くように、アクセサリーをつけるように、ファッションのピースとして見て頂きたいです。
何も入れなくてもいいです。
必要であれば入れてください。
僕はデザイナーズブランドがコレクションの一部で発表している鞄以外に、ここまでデザインされたレザーの鞄を知らない。
70年台、ブリテッシュパンクのムーブメント、
80年代、ロックの精神は脈々と受け継がれ、
人の手が加えられる飾り付け等の足し算の美徳は、効率化に対する一種のアンチテーゼ。
今日においても、職人気質な創作品にこそそんなカウンタースピリットを感じます。
削ぎ落とすこそが良かれの風潮で、パンクの精神が宿った岩永さんの鞄に僕は撃ち抜かれてしまったのです。
鞄という括りにカテゴライズされるのすら勿体無い。
かっこいいです。
長くなってしまいましたので、商品のご紹介は改めます。
もし宜しければ是非ご覧になってください。
cornelian taurus by daisuke iwanaga/コーネリアンタウラス
日本の歴史、文化、アイデンティティを鞄、商品、作品を通じて表現し、持つ人に新たな発見、喜びを感じてもらえるものづくりを行っていくこと
使用する皮革、素材そのものが本来持っている動きや特性、意味、価値を鞄や作品を通じて表現し伝えること
これらは商品であり作品であるという位置付けのもとものづくりを行うこと
日本のタンナーでタンニングされたハイクオリティで特徴的な素材を使用。それに加え船具から派生する重厚で強さのある特徴的なパーツを独自のパターン、縫製、手作業によるテクニックで仕上げています。